2024/09/04(水)60の手習い?
まだ来年以降の動向を決めきれていない
だが、やはり単純に「リタイア」するわけに
いかないのは間違いなく
夏場は、投資や年金についての情報収集に時間を割いた
この国の制度に対してのあきらめ感もあるが
今の仕事については、退職することで
そもそも苦手だった、組織的ないろんな縛り・制約
役員や管理職としての責任なく動けることになるので
自分本来のやりたいことができるようになる喜びのほうが強い
だが、その反面
意味不明な忖度やルールを強迫観念的にさばけるように
なって汚れ切っている自分を、本当にまっさらに戻せるのかは
正直なところ疑問が残るところである
そういう初心や理想、自分の尊厳的なものを躊躇なく表現できる
環境には確実になるだろうと想像し、これまでと同様
根拠なき選択を続けていけばよいと思っている。
だから、今は退職後の期待のようなものも感じており
なぜかやる気満々^^;だ。。
俺はもともと、だれにも自分の人生について一度も相談したことなく
相談しようとも全く思わなかった
実際は、相談できる人が身近にいなかったというのが正解だが
結局、自分の責任で自分で考えた選択をし
たくさんの失敗も経験したが
おおよそ大きな失敗もなく生きてこられたことに感謝している
自分の可能性を根拠なく信じて、この業界へ高卒18歳で飛び込み
文字通り末端のポジションからいろんなことを経験した
- どん底に突き落とされるようなこと
- 信じてたことに裏切られること
- 学歴のないことで、冷遇される社会の仕組みへの恨み
- 予算消化的な安定の中で商売をしていくしかないやるせなさ
- 組織的に妥協を強いられ、それが定常的になる悪循環
- 結婚し、子供を持ち、家族を作る意味が理解できたこと
- 意味を理解しないで、ラッキーなことに家族が作れたこと
- やっと面倒を見れることになった母親との別離
- 知らない間に誰かが自分をかばってくれている事
- 自分が思っているほど、他人に嫌われていないこと
- 思い入れがない人に好かれてしまう事
などなど・・・・・
特に、仕事については
根底が「好き」だったからというのは確かにあるが
すでにエンジニアとしての資質の低さについては
自分自身で自覚できており
むしろ、嫌だから避けてきた「仲介する役目」
そのことから逃げるため退職したり
所属を代わってきた経緯があるのに
結局どの仕事をしても、この役割に立ち戻った
仕事をしていることに50になる前に気が付いた
俺は「こっちの人間」なんだと。。。
幸いにこの仕事を続けられた自覚もあるので
このあとも、この方面で動いていきたい意思はある
しかし、年齢や経験を重ねていくうえで
人間が生きていくうえで最も重要なことに
今更ながら気が付いた自分もいて
金銭を得る目的の仕事としてではなく
自分の存在の証、アイデンティティの確立
社会への貢献・還元・恩返しのようなことを
その方面へ「関与」することで実現したいと願っている
後付けになりそう(自分らしい)だが
そのための、衛生管理者資格取得へのチャレンジを始めている
来月受験することになった
まさに60の手習いとなっているが。。