2021/07/04(日)ニシムイ美術村
歩数稼ぎを始めてから
ずっと気になる場所があった
通っていた中学校の割と近くに
戦後すぐに、県内の芸術家たちが
集まって作った文化村のような
「生活共同体」があった
その存在した場所から
「ニシムイ美術村」と呼ばれていたよう
学生のころの生活圏から非常に近く
非常に気になっていたのだが
やっと今日訪れることができた
跡地とはいえ、周囲は住宅地
非常に小さな区画に、記念碑的な
整備がされているだけの一角
恥ずかしながら、こういうものがあったことを
この年になって初めて知った
通っていた学校の教師はなぜ
この存在を教えてくれなかったんだろう
ひょっとして彼らも知らなかったのかも?
ここに美術村があったころから
かれこれ70年たっているが
自分が過ごした復帰前後の期間は
経済や生活を本土レベルへ押し上げるため
郷土文化の教育など、2の次だったのかも。。
方言札をもたされた世代ではないが
いまの子供たちのように、地域での
エイサーなどのイベントもなく
本土の文化の吸収に躍起になっていた
時期だった
復帰の翌年に大阪から移住してきた
自分にとっては、うらやましいというより
少々複雑な思いがある
いまの子供たちの世代は幸せだと
感じるかもしれないが
土着的にこの土地で生まれてない自分に
とっては、よその土地・地域の話にも
とらえられる
今の年齢になって、やっと中学生ぐらいの
時期のことを冷静に振り返ってみることが
できるようになったが
周りの大人は「昔のことをなかなか話したがらなかった」
ように思う