2025/03/30(日)ゴールと旅立ち

 
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2025年3月31日(明日)

とうとう、今の所属会社での定年を迎えることとなった。

思えば、まだ30代前半の年齢だったが

どういうわけか

1997年4月にファウンダーの一人として

起業にかかわり、現在まで活動してきた。。

そもそも少しコンサバなモチベーションなので

使用者側として物申すことができる立場でいたかった

はずなのに・・・

その意味でも深い関わりをもった会社を去ることになる。

プレイングマネージャーとしてスタートして

後年はマネージャーとして管理職の仕事を全うしてきた

重責のプレッシャーにおしつぶされそうになりながら



30代前半までの自由な動きを意識的に自制し

後付けっぽいが、喫煙をやめないことを

ストレスのはけ口にしてやってきた感がある

重荷をやっと降ろせる思いが強い

そして、やはり体力的な年齢を感じることが多くなったこともあり

適切なタイミングであると思う

しかし、ここ一年

定年の旨をつたえるたび

関係者の方々から、惜しまれる言葉ももらっているが

うれしい反面、本気で慰留を勧めてくるので

俺に依存することなく、感謝の言葉だけいってくれると

なんて気楽なことか。。


このあと、さっくりリタイアして別の仕事や

目的を持つことを期待しているが

どうも、そういう感じにはならないようだ


この会社での勤続は28年だった

あっという間だった

また、高卒で就職してからこれまでで

なんと42年間、この業界で働いてきたことになる

自分でも驚きだが

よくこんなに長い時間を

この方面の仕事へ費やしてきたなー


あと

無茶な仕事ぶりで

家族にはすごく迷惑をかけた認識があるので


それは素直に謝りたいし

こんな俺のアイデンティティ

許容してくれたことに感謝の念でいっぱいだ

ありがとうございます

こんな夫・父親ですまなかったなー


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まあ、これだけこの業界でいきてきたのだから

せっかく培ってきたナレッジを

捨てなくてもいいと思うので

これを踏まえたうえで次のステージへ

進んでいくことを考えたいと思う

また新たな旅立ちでもある

2025/03/16(日)CountDown





あと2週間か。。



1983年4月に最初の会社に入社してから

1度も失業状態とならなかったので

ほぼ42年間働きっぱなしの人生。。

少し休んでもよいと思うが。。

 
そうもいかないか

  

2025/02/27(木)最後の出張

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文字どおり

この会社での現役最後の出張で

東京にいる

やはり東京の空気はちがう

電車での出来事

駅での出来事

顧客先での打ち合わせ

すべて沖縄ではありえないことが

実際に起きる

そしてそれを体験・体感できる

そのたびに

どうして俺は沖縄にいるんだろうと

どうしても疑問に陥る

2025/01/27(月)element

実は、先日の還暦祝いでもらった

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ひとつ誤算があった


こいつに付録としてついていると思っていた

「元素周期表」の下敷き



世界で一番美しい元素周期表.png



付録ではなかったことが判明(;_;)

むしろ本体の図鑑より

こちらのほうが欲しかったのが本音

(プレゼントしてくれた人にはとても言えないが)


我慢できず

急遽アマゾンで購入することになった。。

2024/09/04(水)60の手習い?

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まだ来年以降の動向を決めきれていない

だが、やはり単純に「リタイア」するわけに

いかないのは間違いなく

夏場は、投資や年金についての情報収集に時間を割いた


この国の制度に対してのあきらめ感もあるが

今の仕事については、退職することで

そもそも苦手だった、組織的ないろんな縛り・制約

役員や管理職としての責任なく動けることになるので

自分本来のやりたいことができるようになる喜びのほうが強い

だが、その反面

意味不明な忖度やルールを強迫観念的にさばけるように

なって汚れ切っている自分を、本当にまっさらに戻せるのかは

正直なところ疑問が残るところである

そういう初心や理想、自分の尊厳的なものを躊躇なく表現できる

環境には確実になるだろうと想像し、これまでと同様

根拠なき選択を続けていけばよいと思っている。


だから、今は退職後の期待のようなものも感じており

なぜかやる気満々^^;だ。。



俺はもともと、だれにも自分の人生について一度も相談したことなく

相談しようとも全く思わなかった

実際は、相談できる人が身近にいなかったというのが正解だが

結局、自分の責任で自分で考えた選択をし

たくさんの失敗も経験したが

おおよそ大きな失敗もなく生きてこられたことに感謝している


自分の可能性を根拠なく信じて、この業界へ高卒18歳で飛び込み

文字通り末端のポジションからいろんなことを経験した

  • どん底に突き落とされるようなこと
  • 信じてたことに裏切られること
  • 学歴のないことで、冷遇される社会の仕組みへの恨み
  • 予算消化的な安定の中で商売をしていくしかないやるせなさ
  • 組織的に妥協を強いられ、それが定常的になる悪循環
  • 結婚し、子供を持ち、家族を作る意味が理解できたこと
  • 意味を理解しないで、ラッキーなことに家族が作れたこと
  • やっと面倒を見れることになった母親との別離
  • 知らない間に誰かが自分をかばってくれている事
  • 自分が思っているほど、他人に嫌われていないこと
  • 思い入れがない人に好かれてしまう事

などなど・・・・・

特に、仕事については

根底が「好き」だったからというのは確かにあるが

すでにエンジニアとしての資質の低さについては

自分自身で自覚できており

むしろ、嫌だから避けてきた「仲介する役目」

そのことから逃げるため退職したり

所属を代わってきた経緯があるのに

結局どの仕事をしても、この役割に立ち戻った

仕事をしていることに50になる前に気が付いた

俺は「こっちの人間」なんだと。。。


幸いにこの仕事を続けられた自覚もあるので

このあとも、この方面で動いていきたい意思はある

しかし、年齢や経験を重ねていくうえで

人間が生きていくうえで最も重要なことに

今更ながら気が付いた自分もいて

金銭を得る目的の仕事としてではなく

自分の存在の証、アイデンティティの確立

社会への貢献・還元・恩返しのようなことを

その方面へ「関与」することで実現したいと願っている


後付けになりそう(自分らしい)だが

そのための、衛生管理者資格取得へのチャレンジを始めている



来月受験することになった

まさに60の手習いとなっているが。。