2019/11/08(金)首里城の件

先日、91歳になる叔母に戦前(太平洋戦争)の首里城に
入ってみたことがあるかを尋ねてみた

当時は建物がすごく汚れていて汚かった。。

との感想

この年齢の方の声がこうなので、実際の城が築城された
際の建物の色合いなんて再現しようがない。。


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目いっぱい金かけて復元。。なんてことじゃなく
やっぱり所詮妄想上の首里城なので、金かけない
張りぼて再建でもいいんじゃないかなー

そうすれば、何度火事で焼けようが痛みも少ないし

2019/11/02(土)首里城炎上

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2019年10月31日未明、先の戦争中に破壊され
復元された首里城が原因不明の火事で全焼

この絵を見た際、絶句

自分でも変だが、すごくショッキングだ

というのも、90年代に復元された首里城へのリスペクト
がそんなになかったから。。

今回炎上した首里城の建物(正殿、南殿、北殿)は
観光の呼び物そのものである、おそらく当時以上の装飾や
そもそも完全な復元が不可能であったこともあって
出来上がりにすごく違和感があったのだ。

そのせいもあってか、復元から20年以上経過しているにも関わらず
有料の首里城に入ったのは、嫁の実家からの来客があった際の
2回しかない。

また世界遺産認定についても一過言ある。
結局復元した上物の建物自体ではなく
石垣や石段、石門など琉球王朝当時の城郭を構成する遺構に対して
の認定だということなのだ。

小学生のころよく龍潭池守礼門付近で遊んだ覚えがあるんだが
どういうわけか、守礼門をくぐった先の奥のほうに何か
とてつもなく恐ろしいものが存在するイメージがあって
ほとんど近寄らなかったことをよく覚えている。

琉大のキャンパスがあったことも知っているが、外観や色が
暗くなにしろ怖くて近づかなかったなあ

そのころはまさか20年後に周辺が復元されるとは夢にも
思っていなかった。

ところが、報道を見てると、いまはこの復元された首里城付近で
生活に密着した思い出ができている若い人たちがいるのに驚いた
やはり我々の世代の感覚とはちがうんだろう。。当然だが

というわけで、復元後の首里城に特に愛着などがあるわけでも
尊厳さを感じていたわけでもないのだが、さすがに全焼する絵
をまざまざと見せられると。。。。

報道では、早々の再建の声、募金やクラウドファンディングでの
覆工プロジェクトが始まっているようだ

うーん正直自分としては疑問だ

復元の意味が観光での集客(結局金のため)ではないか

設計図や情報がないままの復元が復元といえるのか

国や自治体が支援することと思われるが、また血税で上物を?
(ほかに優先順位の高い税金の使い道あるだろう)


で、建物はもういらないんじゃないか?

観光で見せるのであれば、それこそ今の技術で3D
プロジェクションなどの手段で見せるとかでよいのでは?

再三述べているが、結局当時そのものの建物を復元できる
わけではないのだから
 

2019/10/22(火)30年ぶりの祝日

本日(2019年10月22日)は、即位礼正殿の儀の行われる日
として(国民の)祝日である。

平成の即位礼の際も祝日だったと覚えているが
当時のことあまり覚えていない

このような日本固有の神事的儀式について
いままであまり深く考えたことはないが

今上天皇の年齢が自分に近いこともあり前回(平成時)
以上に興味事ととらえて今日を迎えている。

自分でも不思議だが、戦前・戦中の方々は皆そうであったように
近親者に天皇(家)に興味がある人が比較的多いため、育ってきた環境
の中で普通に皇室がすりこまれているのだろうか。。

まあ、天皇自身への興味というより「神の国」である日本・国家が、天皇と
どう関係してきたのかという歴史的な背景のほうに興味があるのは事実

とはいえ、自分のきらいな
  • 儀式
  • 形式
がベースとなる、このイベント

これからも延々と継承されていくのだろうか。。

2019/08/17(土)5万歩

超車社会となったここ沖縄の社会問題として
若年高齢者問わず、肥満や足腰の弱い人が
増えていることを挙げたい

ちょっとした近隣での買い物や、子供の学校
への送り迎えの常識化など、自分の若いころには
考えられないほど、沖縄の人は歩かなくなった
と感じる

首都圏内で生活したことがあれば、ピンとくる
ことだが、電車で通勤・通学が普通であれば
必然的に駅まで歩くことになる

駅から徒歩20分の距離に住んでいれば
それだけで1日一万歩以上は歩く(または走る)
ことになるので、首都圏の人は、日常から
暗黙的に足腰鍛練されていることになって
いるんだと思う

沖縄に限らず交通事情の悪い地方の人たちは
便利になった世の中の恩恵と引き換えに
健康を犠牲にしているようなものだと感じる

とはいえ、バス路線も充実していない自宅付近から
通勤に車を使わざるを得ない状況は動かない

最近は、自覚もあって毎日意識的に歩くように
しているが、いかんせん職業的なこともあり
以下のような有様😅

Screenshot_20190817-231458.png


週末は8千歩は歩くように習慣化を目指し
まずは月五万歩を目標に徐々に歩数を
伸ばしていくことを誓った

その前に喫煙止めろと周りからいわれてるが🤒

2019/06/30(日)令和

もう7月にもなろうとしているが、遅ればせながら「令和」について

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万葉集からの引用だそう

 于時、初春月、氣淑風、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

 時に、初春の月にして、気淑よく風ぎ、梅は鏡 前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。


この歌のわかりやすい解釈(訳)は以下のようだ

 時あたかも新春の好き月(よきつき)、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う

 白粉(おしろい)のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている]

 (「令和」を考案した国文学者 中西進さんの昭和59年の著書「萬葉集 全訳注 原文付」の中での訳)



いろいろと狙いすぎてる感があるが

日本の元号としては、間違いないような気がする

「昭和」から「平成」に変わったときは働き盛りな20代後半だった

平成になった1989年1月8日前日(すなわち1月7日金曜日)に私が幹事の

会社飲み会があったことを覚えている

なぜ覚えているかというと、どういうわけか「幹事」なのに真っ先に酔っ払い

1次会のあと3次会の午前3時ごろまで付き合ってたらしいのだ

「らしい」というのは、当時の同行者には若気の至りでホントに申し訳ないが

1次会途中からまったく記憶がなかったから

気が付いたら家で寝ていて、起きてTVを付けたら「平成」になったことを告げる

ニュースが。。。

てなことで「平成」に変わったときのことをよく覚えているわけだ

実はこの平成に変わる前後、個人的に人生の中で激動の数年を過ごしており

翌年には結婚することになるが、そんなことまったく予想もできなかったけど

早いもので、あれから30年たって「令和」になった

考えると、年齢のせいかもしれないが、あのころに比べると「他人を気にする」ようになった

基本的な考え方やスタンスは変わっていないが、年月を重ねると

やはり皆大人(いわゆる)になっていくんだな

いまだに自分自身びっくりするくらい柔和になったものだとは感じるし

そういう意味で

昭和から平成を経て令和にいたる半世紀にわたる年月を

しみじみありがたく感じる今日この頃である